できなかったことができるようになることは、やはり楽しいことなのは間違いない。

それは、障害者であっても一緒なのだと頭ではわかっているつもりだが、どうしても率直にそうだと思えないときがある。

塾で教えていたとき、新しいことができるようになると、生徒は大なり小なり喜んでいたが、勉強が得意な子ほど喜びは大きく、苦手な子ほど喜べる時間が少ないという印象があった。

もちろん、苦手な子も喜ぶが、周囲とどうしても比べてしまうことが多く、自分ができたことは周りの子は余裕でできると認識してしまう。

だから喜びが小さくなり、ますます勉強が嫌いになっていくという傾向があったように感じる。

障害者であれば、なおのことそうなのだと思う。

周りの子より理解が遅かったり、できることが少なかったりすれば、喜びも小さくなるのは当然なことだろう。

カレッジをつくった理由の一つに、障害者への教育時間が短いことが挙げられていた。

たしかにその通りだと思う。

同じ時間勉強して、得られる成果が小さいなら、時間を延ばすことは間違いなく大事なことだと思う。

達成感をあまり味わえず、卑屈な状態だと、仕事をしても、それを引きずり離職につながることを考えれば、すこしばかり社会に出ることが遅くなっても、時間をかけて勉強することはかなり大きな意味がある。

日本にありそうでなかった考え方だと思う。

アメリカではそれが行われていたのに、日本ではほぼなかったのは意外だった。

アメリカが障害者教育にここまで力を入れているとは正直知らなかった。

IQによる認定基準が日本より少し高めなのも驚いた。

でも、グレーゾーンに位置する状態が実は一番しんどいのだから、基準が高いことは厳しいようで、とても配慮がなされていると思った。

アメリカでは様々な機会均等が整備され、障害者であっても様々なチャレンジができるのも少し意外だった。

日本も障害者基本法など法整備は進むが、心の面ではまあ正直差別というか、区別の意識がかなり残っている。

そういった環境の中で、鞍手ゆたか福祉会と長谷川理事長が障害者教育のために活動してきたのだと思うと、率直にすごいなという言葉が出てくる。

文中にもあったが、施設の設置にかなりの反対があったとのことだが、正直反対した住民の気持ちも分からなくはないなと思ってしまう。

そこを突破していった長谷川理事長の情熱には驚嘆してしまう。

障害者に対する差別意識は、日本古来より強い気がする。

そんな日本で障害者向けの大学を展開していくのは、まだまだ大変なことだと思う。

ただ、これから時代は国籍も人種もどんどんフリーになっていくと思う。

障害者であっても活躍できる環境はどんどん整備されていくし、福祉型大学の需要は高まっていくのではないだろうか。

そうやって障害者の独立意識が高まれば、障害者用の住宅もどんどん必要になるだろう。

そういった方面で、ゆたか福祉会の活動に少しでも貢献できれば幸いだと思う。(Y.Mさん)


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