平成26年3月31日までは福岡市の小学校の教員、そして4月1日からはカレッジ福岡の学院長となった私。たった1日で自分を取り巻く環境ががらりと変わる中で、それまでとの共通点は目の前に学ぼうとする人の存在があるということくらいでした。あれから1年が経とうとしています。
文字通り、あっという間の1年でした。おそらくそれは、同じことの繰り返しではないことが、カレッジの日々の活動の中で展開されてきたからでしょう。ハラハラドキドキ、そして感動の日々の連続。「今日は何もなかったね」という日は私の記憶にはありません。それは支援教員が個々の学生の皆さんの「今の状況」を受け止めながら熱心に授業づくりをし、授業以外の時間も細やかに見守りや相談、対応を欠かさず行うことによって「成長すること」を求め続けてきたこと、
また、それらの働きかけに学生の皆さんが日々向き合い受け止めようとしてきたことの証です。学生の皆さんの変化はいつも前向きであるとは限らなかったし、その早さもまちまちであったけれど、一人一人の中に確かに何かが息づいていくのが感じられました。このような様子を目の当たりにしながら、カレッジの学生さんにとって成長とは、行きつ戻りつしながら、あるいは迷い戸惑う経験をしながら、自分にとって本当に必要なものを確かに根付かせていくことだと思うようになりました。
私が最も成長を感じていることは、人を受け入れる力がついてきていることです。これはカレッジ福岡に在籍するすべての学生のみなさんに感じることです。人が人として生きていくために、自分の人生を豊かにしていくためには、自分以外の人を受け入れることが必要だということを、カレッジ生活を通して学び取ってくれたのだと思います。もちろん全てがうまくいくわけではありません。トラブルも多くあります。けれどもそのトラブルの様子の中にも、トラブル解決の過程でも、トラブルからの立ち直りの過程にも「相手を受け入れる」意識がうかがえます。
「相手を受け入れる」ことは障がいが有る無しに関わらず、人として大切なことです。そのほかにもカレッジで学ぶことの中には、人として欠かせないことが多くあります。学生の皆さんがいつか社会に出て、自分の姿を通してその大切さを伝えられるようになってほしい、今はそんな願いを持っています。
カレッジ福岡 学院長 志免木
文字通り、あっという間の1年でした。おそらくそれは、同じことの繰り返しではないことが、カレッジの日々の活動の中で展開されてきたからでしょう。ハラハラドキドキ、そして感動の日々の連続。「今日は何もなかったね」という日は私の記憶にはありません。それは支援教員が個々の学生の皆さんの「今の状況」を受け止めながら熱心に授業づくりをし、授業以外の時間も細やかに見守りや相談、対応を欠かさず行うことによって「成長すること」を求め続けてきたこと、
また、それらの働きかけに学生の皆さんが日々向き合い受け止めようとしてきたことの証です。学生の皆さんの変化はいつも前向きであるとは限らなかったし、その早さもまちまちであったけれど、一人一人の中に確かに何かが息づいていくのが感じられました。このような様子を目の当たりにしながら、カレッジの学生さんにとって成長とは、行きつ戻りつしながら、あるいは迷い戸惑う経験をしながら、自分にとって本当に必要なものを確かに根付かせていくことだと思うようになりました。
私が最も成長を感じていることは、人を受け入れる力がついてきていることです。これはカレッジ福岡に在籍するすべての学生のみなさんに感じることです。人が人として生きていくために、自分の人生を豊かにしていくためには、自分以外の人を受け入れることが必要だということを、カレッジ生活を通して学び取ってくれたのだと思います。もちろん全てがうまくいくわけではありません。トラブルも多くあります。けれどもそのトラブルの様子の中にも、トラブル解決の過程でも、トラブルからの立ち直りの過程にも「相手を受け入れる」意識がうかがえます。
「相手を受け入れる」ことは障がいが有る無しに関わらず、人として大切なことです。そのほかにもカレッジで学ぶことの中には、人として欠かせないことが多くあります。学生の皆さんがいつか社会に出て、自分の姿を通してその大切さを伝えられるようになってほしい、今はそんな願いを持っています。
カレッジ福岡 学院長 志免木
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