ナザレ大学エンブレム

ナザレ大学を視察した職員のみなさんから感想文が集まりましたのでご紹介します。


 これまでの海外視察や学会参加、意見交流において学ぶことは多かったが、いずれも知的障碍者が正規の学生として入学し、4年間の大学教育を非障碍学生と共に受けるところまでは至っていなかった。今回視察したナザレ大学ではそれが現実のものとして展開されており、わたしたちゆたかカレッジが将来的に求めている姿を現実のものとして知ることができた。その意味では今回の視察研修はこれまでとは違う意味を持つ。つまり今回の視察研修で、知的障碍者が非障碍学生と同じように入学試験を経て正規の大学生として学び、単位を取得し、卒業することができるという何よりの確証を得ることができたのである。それを可能にしたものは何かということについて私なりに感じた事は以下のことである。
 まず、このシステムを可能にするバックボーンがあったということである。ナザレ大学の教授は宗教的なバックボーンがあったと述べられたが、同じキリスト教系の大学であってもこのような実践は他には見られない。このことから大学のキーマンとなる人が本人・保護者・インクルーシブな社会の実現を求める声を真摯に受け止め、それを大学の制度として整備していったことが想像される。そのためには大学総長をはじめ、中核となる教授陣が知的障碍者の高等教育実現を志向していたのではないかと想像される。大学に大きな変革をもたらしたのは、学生を優良企業へ送り出す機関としての側面や経営的な側面からだけではなく、真に学びたいと願う人が学ぶ場であるという大学本来の使命を貫こうとする人たちの思いの強さと行動力の賜物であり、これこそがナザレ大学の変革に向けたバックボーンであったのだと思う。
 次に、知的障碍者が大学教育を受けるにあたって、理想と現実のすり合わせを徹底的に行っているということである。障碍をもつ学生にできること、できないこと、支援を要すること、自ら乗り越えるべきことなどをバランスよく組み合わせている。またその支援は単に個々人の心情や行動力に頼るのではなく、システムとして稼働している。入学試験の実施、ドウミ制度の導入、生活館と大学との連携など、どれも障碍学生やその保護者にとってだけでなく、非障碍学生や世間一般の人も納得できるものになっている。例えば入試が無ければ、なぜ障碍学生は入試なしに入学できるのか、といった声が上がるであろうし、障碍学生だけに学費免除があれば、なぜ障碍学生だけがただで大学にいけるのかといった声が上がるだろう。ドウミ制度で非障碍学生に経済的な恩恵がなくボランティアだけで運営しようとすればこの制度はやがて破たんする可能性もある。それらを克服するために、知的障碍者が大学に入学することは、非障碍者が大学に入学することと変わりはないということを説得力をもって示している。一方、その具体的実践においては障碍学生への支援はしっかりと細やかに行っている。これらのことによって障碍学生が大学教育を受けることはより組織的に、継続的になっていくと考えられる。また知的障碍者の高等教育に関して一般社会への受け入れを推進することにつながるだろう。
 今回の視察研修はゆたかカレッジの今後に大きな希望をもたらした。私たちが持ち帰った、知的障碍者が大学で学ぶことが可能であるという現実は何にも代えがたい学びとして多くの人たちに発信していく必要がある。特に高等教育に関わる人たちや教育制度、福祉制度に関わる人たちにはぜひこの現実を知ってほしい。同時に、日本でもそれが可能だということを実践的に示していく必要もある。その中核を担うのはわたしたちゆたかカレッジであることは間違いない。
 先はまだ長い。しかしめざすところはしっかりと私たちの視野に入った。私たちは遠い道のりではあるが必ずそこにたどり着くための実践をしているのだという自覚をもって今後のカレッジを前進させていきたい。(カレッジ事業部長・志免木)


 ナザレ大学の視察研修に参加して、授業見学では、学生が会社に勤めたときの心構えルールについて講義を受けていましたが、パワーポイントを使用した授業では、講師の補助としてパワーポイント操作をしている学生や、活発に手を上げて発言をする学生がいて、積極的に授業を受けている印象を受けました。受け入れる環境さえ整えば、障碍のある人たちも大学の中で完全にインクルーシブな学生生活を送ることが可能だということを証明している大学だと実感しました。学生寮である、生活館でも障碍種別は様々だが学生同士が中心となり助け合い、生活面での援助を行いながら生活を送っていました。学生同士のトラブルや、パニックなどもあるが職員と連携を取りながら対応しているとのことでした。その話がグループホームなどの障碍施設での話ではなく、大学の学生寮での日常生活の話であることが驚きであり素晴らしいと感じました。様々な人と関わることができるインクルーシブな環境は、障碍の有無に関係なく、学生が成長する大事な時間であり、学問の学びと学生として成長する学びが体験できる大切な場所だと感じ再確認することができました。(福岡事業部長・井手)


 初めに授業風景を見学させていただいた。カレッジの「労働」の教科でも触れる内容で、やはり教育・支援していきたい観点が共通していることを感じるとともに、同じ方向を向かっているという親近感をもちました。講義は決して一方的なものではなく、教授と学生の積極的かつ活発なやり取りのもとで進められていた。寄宿舎の方もいれば通学の方もいて、自分で時間割を組み行動している。午前3時間、午後3時間の授業の合間は皆でコーヒーを飲んだり自由に過ごす時間もあり、寄宿舎では月3回程度のクラブ活動もあり・・・と、まさに大学生活、キャンパスライフを過ごしているということであった。
 率先して我々にお茶を配ってくれた女子学生の方(リーダーとのことであった)の喜んで笑顔で対応されるおもてなしの様子も印象的であったし、視察しながら別の棟に移動する際に、明るく独語を発しながらキャンパスを歩く方ともすれ違った。
 また、障碍学生支援センター内を見学中、ある男子学生の方が、自分が描いた独創的な絵を、「ハッハッハー!」と我々視察団に誇らしげに見せてくれる場面もあった。このように、活き活きと大学生活を送っている姿を目の当たりにするにつけ、「日本でもこのような形で実現できたら」ともどかしくさえ思えた。とともに、総長および他の教授の先生方もゆたかカレッジの取り組みについて「自分たちが見習いたい部分もある」と高く評価してくださり、国や歴史は異なるが、同じ理念のもと今後も交流していきましょうとの流れになったのが大きな実りの一つだと思う。
 わが法人がうたっている基本理念の一つ「わたしたちは、日本の福祉の発展に貢献し、新しい時代に向かって福祉の変革を推進する」という内容につながっていくよう、一職員として努力していきたい。(レジデンス大村・田中)


 ナザレ大学の取り組みを視察し、障碍学生と非障碍学生が学生生活を共に送っているという事実に触れることができました。視察に参加する前までは、あまりイメージがわいていなかったが、こうして実際に取り組まれている姿を目にし、日本の障碍者教育もこのように進めていくことができるという可能性を実感しました。これが今後私たちが目指すべき姿であると確信しました。
 視察研修の中で、障碍学生が自分自身のことをよく理解して学習に取り組んでいると感じました。自分の障碍特性を理解し、今の自分の強みや課題、必要な支援などを把握して取り組みがなされていました。現在のゆたかカレッジでは自分の障碍を理解している学生は少ないため、自分自身にどのような支援が必要なのか理解できていない学生が多いのが現状です。大学生活や今後の就労等に向かう中で、障碍受容というものはとても大切な課題であると思います。特に非障碍学生とともに授業を受けるとなると様々な配慮が必要となります。インクルーシブな教育を行っていく上で、ゆたかカレッジでもどのように自身の障碍と向き合っていくのかを考えていかなければならないと感じました。
 また、ドウミ制度にも興味がわきました。ただボランティアとして非障碍学生が障碍学生をサポートするのではなく、学費減免という制度を含めることで継続性が生まれていきます。さらに、障碍学生が障碍学生をサポートするなど、ただサポートされるのではなく互いに共生していくという点がこれからの障碍者が生活していく上で大切なことなのではないかと感じました。ただ受け身になるのではなく、自らも誰かの力になっていく・・・それはこれからの社会で必要不可欠なものではないかと思います。互いに受け入れあうためにも、重要なものではないかと思いました。
 障碍者の中でも大学進学を希望する人は多く、ナザレ大学の倍率を伺い驚きました。それでも障碍者枠を広げるのではなく、障碍学生に必要な支援を十分に行うために現状を維持している大学の姿勢に感動しました。高い志の下で取り組まれているのだと痛感しました。
 ナザレ大学でこのような取り組みをしているという事実は、これからのゆたかカレッジにとって希望であると感じました。まだまだ日本では取り組まれていないのが現状ですが、これからはゆたかカレッジが手本となり実践していく必要があります。その使命を全うしていかなくてはならないと改めて感じました。
 ナザレ大学のような大学が当たり前の世の中になるよう、日々の授業に対し真摯に取り組んでいこうと心に誓いました。(カレッジ福岡・豊増)


 ナザレ大学での視察・交流を通して、実際に学生が学ぶ姿や生活する姿を見ることで、事前に目を通した研究論文では感じることができなかった雰囲気に気付くことができました。
 障碍を持った学生が教室の中で机を並べて授業を受ける姿。クラスの中で役割を持って自ら動く姿。夕方に外出を終えて生活館に戻っていく学生等、当たり前の大学生活を当たり前に過ごす風景は、視察でないと得ることができないものでした。
 また、障碍を持っている方が学生だけではなく、学びや生活の中で、事務員や相談員として働いている姿も拝見し、大学の日常風景からインクルーシブな雰囲気が感じ取れました。
 また、同時に大学として知的に障碍を持つ方々を受け入れる、そして卒業することで学士を取得できる根拠として、知的に障碍を持つ学生も4倍以上という倍率の大学入学試験を受け、選考を経て大学生となっていることや受講する科目においても試験による単位取得の必要性を挙げられていました。
 それぞれに大学からの配慮は含みながらも、大学として存在する以上は譲れない。強い意志を示されたような気がしました。

 大学の中で様々な個性を持った学生や職員がインクルーシブに過ごしている日常。そのような風景をとなりの韓国で視察できたことは、将来、日本でも当たり前に見ることができるのでは、という可能性を身近に感じることにつながりました。とても貴重な研修でした。ありがとうございました。(カレッジ福岡・葛尾)

(1)ナザレ大学「リハビリ自立学科」授業視察における気付き
 授業内容は「サラリーマンの勤務マナーと姿勢」。ゆたかカレッジにおける「SST」や、「就労基礎」と内容がほぼ同じである。学習内容に関しては幅広く、一コマの時間で健康管理、会社の規定、社会のルール、あいさつ、報告の必要性など多岐にわたっていた。プロジェクタにプリントを映し出す方式で、プリントは文字のみである。ゆたかカレッジのクラス編成(おおむね10名以下)に比べて、19名と大人数であった。以上より、この授業を受講している学生は、知的に障碍があっても軽度であるということができる。ゆたかカレッジにおいては、知的・発達障碍がある学生に特化している。重度の学生においては文字の概念もむずかしい。そのような学生の学び・就労へ向けての学習の機会を設けている点で、ゆたかカレッジの取り組みは先駆的であると改めて感じた。
 ナザレ大学の授業の良い点としては、就労の専門家が教授として指導している点である。教養課程では法学なども受講する。各分野に特化した指導者がいるということで、学生のさらなる学びが期待できる。
 授業がない時間(空きコマ)は、思い思いに休憩を楽しむということであった。その過ごし方は、一般の大学生と変わらない。ゆたかカレッジ、少なくともカレッジ福岡では、常に支援教員が見守りとして配置されている。トラブル防止や支援の必要性を考えると見守りは必要である。が、ナザレ大学のように見守りなしで、自由に行きたい場所に行き、過ごしたい場所で過ごすことができてこそ、真のインクルーシブな高等教育の実現といえるのではないだろうか。「キャンパスライフの謳歌」がそこには見える。学生の立場に立って考えると、ナザレ大学の学生がうらやましく感じた。

(2)ナザレ大学学生との、交流を通して
 昼食交流会では、ナザレ大学学生の姿を近くで拝見することができた。障碍がある学生が、にこやかにそして少しはにかみながら、コーヒーをふるまってくださった。昼食後には学生と少しではあるが交流することができた。日本と韓国の歌手についての話をした。私の話すつたない韓国語にもしっかりと耳を傾けて、頷いたり、話したりして下さった。ゆたかカレッジの概要説明では、スライドを見つめ、通訳のことばをしっかりと受け止めている様子がみられた。その交流の中での気付きが2点ある。
 一点目は、知的障碍がある方の進学率が0.4パーセントということに、驚いていたということだ。ナザレ大学学生にとって、日本における知的障碍がある方の高等教育が保障されていないことは、声をあげるほどの驚きであった。ナザレ大学では、知的に障碍がある学生がいることは「普通」により近い感覚であるといえる。日本においても、障碍がある学生が「普通」に大学で学べる場づくりをしたい。ゆたかカレッジの支援教員として、その使命を強く感じたできごとであった。
 二つ目は、学生の表情がとても明るいということである。ナザレ大学が居場所として機能し、分かりあえる仲間がいる。学びたい思いが実現できる。その充実感からであろうか。ゆたかカレッジで勤務して、数回耳にした言葉がある。「本当の大学に行きたかった。」ニーズがそこにあるのである。ニーズがあるからには可能な限り環境の整備をし、ニーズに応える必要がある。障害者差別解消法が施行されたことからもそれがいえる。ゆたかカレッジの目指す道は間違っていないと、ナザレ大学の学生の姿を見て確信した。

(3)学生の障碍受容
 学生の障碍受容においては、ゆたかカレッジで過ごす4年間のなかでぶつかる問題である。(特に知的能力が高い軽度の学生はなおさらである。) ゆたかカレッジでの活動の先に、「就労・自立」を見据えているからである。障碍受容ができるということは、ありのままの自分を見つめることであり、自立への一歩につながる。しかし若干18歳から20代前半のゆたかカレッジでの学生の障碍受容は、難しい問題である。その背景には、日本における「障碍者」の認識が、差別的要素をいまだはらんでいるからだと考えられる。
 学生の障碍受容について、質問することができた。ナザレ大学でも、障碍受容は必要であるという認識であった。1、2年生の時にはショックが大きいことが予想されるため徐々に進めていく。3、4年生になると障碍受容に向けて、しっかりとサポートしていくとのことであった。障碍受容が進むことにより、自分のできないこと(むずかしいこと)や、支援してほしいことを伝えられるようになるからである。さらに、こうしたらできるなどのできること(強み)も伝えられるのである。その結果、自身に合った就労内容を選べ、継続した就労の実現を目指せるのではないか。
 深く共感したと同時に、障碍受容についての取り組みをゆたかカレッジでも進めていく必要があると感じた。
もちろん、慎重に進めるべき課題である。今現在の「ヘルスケア」の授業でも取り組んでいるが、この内容を具体的に精査し、よりよい学習機会の提供に繋げたいと思う。就労にむけての「SST」や、就労サポーターによる一貫した支援の中にも取り入れたい内容である。

(4)今後に向けて
 今回、海外視察研修という身にあまる研修の機会をいただけたことに感謝し、今回得たことを実際の現場にフィードバックしたい。社会福祉に携わる者として、理事長が目指す社会の変革の一助となれるよう、よりよい現場作りをしたいと思う。(カレッジ福岡・定宗)


 今回の視察研修で、とても貴重な経験をさせていただいた。知的障碍者を正式に受け入れ、大学卒業の資格を取得できる世界唯一の大学を見させていただき、このような大学が世界中にあることがあたり前になればいいのにと強く感じた。
 リハビリ自立学科の授業の見学では、学生の意欲的に学ぶ姿が強く印象に残った。先生の言葉に対し、「はい」と返事をしながら授業を受ける姿を見て、勉強できることの嬉しさや学びたいという強い思いが伝わってきた。また、ゆたかカレッジでの「労働」や「職能開発」などと同じような内容の授業をされており、座学以外にもロールプレイングなど実践的な授業もあるとのことで、似ている部分をたくさん感じた。そして、私たちがしていることは間違っていないということも感じることができた。
 今回の研修で、たくさんのことを感じることができたが、その中でも特に2つのことを考えさせられた。
 ひとつめは、環境が整っていることが大切だということだ。学生が学びやすく過ごしやすい環境を作っていくことが大切だということを改めて感じることができた。寄宿舎がすぐそばにあり、支援ができる環境が整っていることがとても大きいと思う。補助工学センターでは、様々な障碍や特性に応じたたくさんの機器が準備されていた。大学内にこのようなセンターがあることで、障碍のある学生は、とても心強いだろうし、また、自己負担も1割程度でいいということに驚いた。個人の障碍や特性に応じた機器があるのとないのとでは、学びに大きく差が出ると思う。私自身、今後も学生一人ひとりにあった支援を心がけ、自分ができる精一杯の環境整備や教材準備をしていきたい。
 ふたつめは、障碍のある人もない人も一緒に生活をすることで、お互いにいい影響があるということだ。一緒に生活をすることで、障碍者に対する偏見もなくなるであろうし、関わり方も身につくだろう。また、障碍者の多くにコミュニケーションスキルのニーズがあると思うが、このニーズも少しずつ克服できるのではないだろうか。また、障碍のある学生も一般学生と同じ試験を受けたり、レポートを書いたりしているという話を聞いて、障碍学生と一般学生を区別しないという点が素晴らしいと感じた。障碍学生と一般学生を平等に見ていることもまた、障碍学生と一般学生のいい関係を築くひとつではないだろうか。ゆたかカレッジでは、今後も大学生との交流を大切にしていき、大学校舎内での授業を受けられる機会が増えたらと考える。
 今回の視察研修で学んだこと・感じたことを今後の支援につなげていきたい。(カレッジ久留米・原田)